白い茶缶を使っている。
同じデザインのものをそろえて使うと見ためが美しくなるということで、同じ茶缶を3つ購入して並べている。確かに美しく、なんとはなしに心が落ち着く。
毎日、朝昼晩、ほぼ欠かさずにこの茶缶をかぽっと開ける。そして内ぶたを開け、缶の外ぶたに茶葉を移し入れる。
スケール(計量計)の上にふたごと載せ、31gになるように茶葉を足したり引いたりする。このふたの重さは21gで、茶葉の重量はいつも10g入れることを目指している。
計った後は急須に茶葉をいれ、冷ましたお湯を注ぎ入れる。そしてタイマーを60秒にして、ぴぴぴっと鳴ったらふたつの湯飲みに交互に注ぐ。最後の一滴まではいるように、おしまいには急須をかなり急角度にし、えいっえいっと振りいれる。もちろんふたを落とさないように親指でしっかり押さえながらである。
こうして書いてみるとなんだか面倒くさいが、やってみると(慣れてみると)そうでもない。20年以上もお茶を淹れているが、今も毎回スケールを使っている。
なぜ、自分はかなりの面倒くさがり屋なのに、茶葉の量をはかり、時間を計るのか?…それは美味しく淹れられる確率が圧倒的に高まるからである。今まで何度も「あれ?今日おいしくないな」ということがあったのだ。いつも淹れている同じお茶なのに…。また、ふとあれこれやってしまっていて、気づけば急須の中に15分以上も茶葉を浸しっぱなしだったこともある。(かなりの頻度で…でもこれは不味くはならない。二煎目は出なくなるけど)さらに新しいお茶がやってきた時、茶葉の量や時間を計って入れると「このお茶は茶葉が多めがよかった」とか「蒸らす時間はもっと短い方がよさそう」などが早くわかる。
昔からお茶を淹れてきてとても肥えた舌を持っている家人や一緒にお仕事させていただいている日本茶アーティストの方などは量らないし計らない。たぶん感覚が優れているのだと思うし、ちゃんとお茶淹れに集中しているのだと思う。羨ましい限りである。
私は面倒くさがり屋だし、かなりあちこちに意識が飛びやすく忘れっぽいのである。そんな自分と付き合い続けてうん十年、自分を変えるより自分にあったやり方を取り入れる方が幸せに暮らせることを学んだ。
”お茶は感覚を生かしてタイマーなぞ使わないで淹れるべし!”とか、”きちんと量っていれるべし!”とか、いろいろ言う人がいるけれど(おそらく親切心からなのだろう)、みんなそれぞれ好きなやり方で淹れたらいいと思う。
私は”美味しいお茶が飲みたい”と強く思うけれど、もしかしたら、淹れる時間に幸せを感じられれば味にはこだわらない…という人もいるかもしれない。それはそれでいいと思う。
お茶について思うのは、”もっと自由であれ”ということ。いろんな作り方、売り方、淹れ方、楽しみ方を許容していくべきだと思う。(そもそも許容とか書いている時点でめっちゃお堅い)
この緑色の液体や粉末や葉っぱや茎をみんな自由につかって楽しむといいなぁと思う。お寿司は海を渡ったことでかなり自由なものに変容した。だからこそ世界で人気が出たのだと思う。日本だって海外からやってきたものに手を加え、独自変化させることが得意だ。(和風パスタとか…漢字だってそうかもしれない)たぶんお茶が人気モノになるには、これまでと異なる楽しみ方がされることを寿ぐ気持ちが必要なのだ。
…そんなことに想いを巡らせていた。お茶を淹れ、飲むまでの間に。
そうそう、私は茶缶をあけたら、茶葉のにおいを嗅ぐ。すんすんと茶葉のにおいを嗅ぐと、ほんのりとした甘さやかすかな苦さ、そして茶畑の草いきれが漂ってくる。そしてそれはこれから淹れるお茶の味にそっくりな香りなのだ。不思議と。この不思議についてはまた次回。
(文章:MARIKA 2020年6月30日)
≪茶缶や茶筒には、内ぶたが付いているのがイイ。お茶は湿気やすいから、これで守られているという安心感が(笑)
以前、茶工場におじゃましたことがある”茶農家集団ぐりむ”の新茶が届いた。
浅蒸し煎茶好きなので、煎茶をたくさんと茎茶を1本。同封されていたパンフレットに載っていた文章に思わず涙しそうになったのでシェアさせていただきたい。
「しずおか 両河内
幼き頃から茶と星空に囲まれる山郷での暮らし
僕らはそれぞれ茶農家に生まれ両河内に集いました
山間部の田舎で何もありませんが
僕らにはとても大切な地
豊かな緑と麗しい山々
優しい水と雄大な景色に抱かれ
この地で茶を育て
そして自らも育てられる環境に感謝しています」
ぐりむのメンバーである次郎さんのお茶が好きで、なんどか豊好園におじゃましたことがある。
あるとき次郎さんのお母さんがお茶を淹れてくださるときになにげなくおっしゃった言葉。「明日は雨が降るから洗濯機に水を貯めておかなきゃね」…えええ?どういうことかと聞いてみると、お家で使う水は今でもかなり川の水を使っているそう。雨が降ると水が濁って使えなくなるから貯めておかなきゃ…と。平成の時代にそんなことがあるのか…と正直驚いた。
私は東京で暮らし、多くのものを”商品”として手軽に手に入れられる暮らしを送っている。しかし東京とそうした”商品”を作って下さる方々の暮らしには似て非なる暮らしと時間が流れている。
都会に並んでいるものは実は取り換えのきく”商品”ではなく、地域の努力や文化や歴史が折り重なりあい、長い時間をかけて丁寧に手をかけ生みだされているものなのだ。地方に行くたびにその事実を知り、少し申し訳なく思うのだ。消費するだけの者になりきっているのではないか?という戒めのような気持ち。そして東京にもどってもこの感触を忘れたくない…と願う。
ぐりむの言葉の中にある「優しい水と雄大な景色」は単なる美しい表現なのではなく、あの山と川に育まれた若者たちのリアルな言葉だ。大切に里の人たちがバトンをつなぎ、彼らのもとに山と川と蛍とお茶が渡されたのだ。次郎さんたちが地元の茶工場を引き継ぐことにしたのは、そうした先人たちのものを自分の世代で絶やしてしまいたくない…と思ったのだと思う。
茶工場から見上げるような急勾配な茶畑を指さして、あの時、次郎さんは言ったのだ。「あそこ、80代のおじいちゃんが摘んでる畑なんですよ。お前たちが茶工場続けるんなら、もう少しオレも摘むよって言ってくれて…」(うろ覚え…💦)
今日届いた新茶の中にあの急勾配のおじいちゃんの摘んだお茶は入っているのだろうか。何十年ものぼってきた茶畑でおじいさんは、この春もぴゅ~っと伸びた新芽や茶の葉を摘んだのだろうか。
霧に包まれ、風に吹かれ、おひさまを浴び、星空に見守られた両河内のお茶の葉たち。バトンは確かに渡され、この地で育まれた若者たちはともに集い、お茶を揉みはじめた。
このお茶、どんな味がするかな。きっと今しか飲むことができない薫風のような清々しいお茶に違いない。
(文章: MARIKA 2020年5月19日)
茶農家集団ぐりむ HP:https://gurimu170.org/
オンラインショップ(笑顔&変顔の写真が最高!) https://gurimu170.shop/
初めて、紅茶の国イギリスを訪れたのは大学生の時でした。
イギリスではさぞかし美味しい紅茶が飲めるに違いない!と心弾ませていた
ものの、ティーバッグとお湯が出てくる事実に驚愕!そうなのか…とちょっと
しょんぼりした気持ちになったのでした。(大学生が行けそうなお店では…と
いうことだと思いますが)そして忘れがたかったのが、アイスティのこと。
訪れたのは真夏で、近年まれにみる暑い夏でした。ロンドンのお店は、クーラーが
きいておらず、「暑い!暑い!」「とにかくこんな時はアイスティが飲みたいよ!」と
友だちとアイスティを探しまわりました。しかーし、ロンドンでは冷えた紅茶を
みつけることができませんでした。20年以上前のイギリスでは、”アイスティ”
なるものは邪道だということを知ったのは、帰国してからのことでした。
でも、私たちはとうとうアイスティをみつけたのでした。ロンドンからバスで
1時間半ほど離れた小さな町のカフェで、冷蔵庫にガラスのコップにいれられた紅茶が
鎮座していたのです。おぉぉ~、あれは夢のアイスティでは?! 友だちと喜んで
注文しました。冷やしたばかりだったのか、ぬるめのアイスティでしたが、
そのアイスティのおいしかったことといったらなかったです!
あれから20年以上がたち、イギリスを再訪し、ヨーロッパにもちょこっと行って
みたけれど、町のカフェやホテルのレストランなどで提供される紅茶は、なんと
未だに?ティバッグが多いことに驚き続けています。今回、カナダ経由でチリに
行ったのですが、意外なことに茶葉=リーフでお茶が提供されたのは、イースター島の
レストランだけでした!
(↑はイースター島の名レストラン TE MOANAです♪)
ここでは、好きなお茶を選ばせてもらえるようになっていました。地球の裏側でも
やっぱり茶葉で淹れたお茶は美味しかったです。香りがあるし、味にお茶の奥行きが
感じられました。
そして、30時間以上を機上で過ごし(イースター島⇒サンティアゴ⇒トロント⇒羽田)
やっとこさ帰国してから、近所の喫茶店に行きました。そして、あらためて紅茶の美味しさに驚きました。か、かおりが良い~!!味が360度あるっ!!(なんとなくわかりますか、
この感覚?)500円でこの紅茶が飲めるって、もしかしてすごいことなんじゃないかと
驚愕しました。日本茶の美味しいお店はまだまだ少ないけれど、もしかしたら、紅茶を
500円で美味しく飲めるランキングがあるとしたら、世界有数なのではないかと思いました。知らないうちに、東京は美味しい紅茶飲める都市ランキング上位になっている可能性があるのではないかと…。
あ、でも、忘れてはなりません!トルコも美味しかったです!イスタンブールの市場の中の小さなお店でもどこでも、チャイはすばらしく美味でした。あちらは濃い目に淹れて、
渋かったらお湯で薄めるというスタイルがポピュラーなようで、”存在感のないチャイ”というのには出会いませんでした。さすが、チャイの国、トルコです! しかーし、紅茶の産地、スリランカやインドには行ったことがないので、茶葉がポピュラーなのか、それともやっぱりティーバッグが主流なのか、今後確認してみたいところです。
そして思うのは、東京でこれだけ美味しい紅茶が飲めるのならば、これからはもっともっと日本各地で美味しい日本茶が飲めるようになっていって欲しい!ということです。自分が旅行者なら、美味しい日本茶を”日本”で飲みたいですもの。紅茶が美味しく淹れられるのなら、かならずや、美味しく日本茶を淹れられます。紅茶と日本茶、どちらも美味しく飲めるカフェやレストランがもっともっと増えますように願ってやみません。
(文章:marika 2016年2月29日)
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